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精読:精神分析1-1:Helene Deutsch:As If Personality

 

早速ですが、本論文をはじめから約してみましょう。この論文はオンライン上の各サイトで公開されています。

まだ、、サイトで表示するように調整ができていないので、みにくいですが、登記官では以下のような形で、センテンス(ピリオド、コロン)ごとに区切って表敬式にして約しています。機械的に思えるかも知れませんが、現代の翻訳作業ではこれはスタンダードなものです。また、訳し終わったあとに文節ごとに区切って、翻訳の補助をする「翻訳メモリー」の形にもいじりやすいです。生の翻訳をそのようにしてデータベースにして使うと、とても便利です。

あと、とりあえず着手したばかりの生の途中経過を示していますので、単語がいい加減なとこrとかは予想で訳していたりします。わかるようにマークは入れていますが。

思うに、職業翻訳家でも普段しょっちゅう英語を使う暮らしをしているわけでもないと、結構私は単語を忘れます。英語が身についていないといえばそうなのですが、そこで恥じたり、完璧を目指すと頓挫するので、作業の第一段階としては、こんな感じ。これまで2冊の専門書を約扨せてもらったり、翻訳補助をした経験が役立っています。

位置 原文_原形 訳文_原形
タイトル Some Forms of Emotional Disturbance and their Relationship to Schizophrenia 情緒的障害のある形態と統合失調症とそれらの関係
Helene Deutsch ヘレネ・ドイチェ(Helene Deutsch)
Psychoanalytic observations of a few types of emotional disturbances are presented in this paper, and a series of cases reported in which the individual’s emotional relationship to the outside world and to his own ego appears impoverished or absent. この論文では、情緒的な障害のいくつかのタイプについての精神分析的観察を提する。一連の症例では、ある個人の外界*現実外界の意味*および彼自身の自我に対する情緒的関係が貧困化し欠落?していくことが報告さあれる。
Such disturbances of the emotional life take various forms. 情緒生活におけるこのような障害は様々な形態をとる。
For example, there are the individuals who are not aware of their lack of normal affective bonds and responses, but whose emotional disturbance is perceived either only by those around them or is first detected in analytic treatment: たとえば、自分たちの正常な情緒結合と応答の欠落に気づかないものもいるし、

だが彼らの情緒障害はみなされる?Perceived、認識される、彼らを取り巻く人達に気づかれることもあるし、分析的治療で初めて察知されることもある。

and there are those who complain of their emotional defect and are keenly distressed by the disturbance in their inner experiences. また、自分自身の情緒的欠落を訴えるものもいれば、真剣に?KeenlyDistressEdされてもいる*彼らの内的経験での障害によって、
Among the latter, the disturbance may be transitory and fleeting; it may recur from time to time but only in connection with certain specific situations and experiences, or it may persist and form a continuous, distressing symptom. 後者の群では、その障害は変異Transitoryし、流動的Fleetingである。それは時間とともに繰り返し現れるRecurが、ある特徴的な状況や経験群とだけ結びついたり、持続的で苦痛なDistressing症状が生じ?Persit形成されることもある。
In addition, the emotional disturbance may be perceived as existing in the personality or it may be projected onto the outside world. 加えて、この情緒障害はパーソナリティの中に存在するものと認識されたり、外界に投影されたりする。
In the one case the patient says, 'I am changed. ある症例で、患者は「自分が変わった。~~~
I feel nothing. なんにも感じない
Everything seems unreal to me. すべてが非現実的に見える。」と述べた。
In the other, he complains that the world seems strange, objects shadowy, human beings and events theatrical and unreal. 他方、*同じ彼*彼はセカイが奇妙に、ものがうすぐらく?Shadowy、人間やできごとが演劇的に(胡散臭く?わざとらしく?)て非現実的に見える。との訴えた。
Those forms of the disturbance in which the individual himself is conscious of his defect and complains of it belong to the picture of depersonalization. この、その個人自身が彼の障害に気づいいて、そのことを訴える障害は、離人症の状態像に属すものである。

しかし、いきなりズドンといった感じですね。ドイチェさんは、外見はそれほどタフには見えない方なのですが、とても重厚です。個人的にはこの頃の人は大きな戦争のはざまでくらしていたりもしましたし、当時治療不可能だった統合失調症などの治療的研究に取り組んでいたので、もともと骨太なかただったのでしょう。

 

とはいえ、今みると、最近では少なくなった印象を受けるこうした古典的な少女王、しかも完全に精神病水準の自己認識に関する幻覚妄想についての記述なので、初心者の方にはピンときにくいでしょうかでも読み勧めていくと徐々に理論の部分が、現代の精神分析理論に近づいていくことがわかるでしょう。

全部掲載するとすごい量なので、次回からは洋書洋書をピックアップする予定です。